
漁師になった理由
千葉県の幕張出身で、小中高と野球ばかりやっていました。
海がすぐ近くにあって、子どものころから海は生活の一部みたいな存在。
将来は海上保安庁に入りたいと思っていましたが、高校3年のときに、公務員を目指して進学より、自分は働いたほうが合っていると感じて方向転換しました。
早く「海を仕事場にしたい」と思ったんですよね。
海の仕事をいろいろ調べていくなかで、漁業就業支援フェアでいろいろな漁協の話を聞いてみました。そのときに見つけたのが小笠原母島漁協です。
実は小学生のとき、父島に2回行ったことがあって、なんとなく親しみも感じました。
母島に決めたのは、頑張り次第で早く一人立ちできると思ったからです。
定置網や遠洋漁業だと大勢で船に乗るから、独立までに時間がかかるんじゃないか。でも小笠原は船も小さく、独立が早そうだと思いました。
30歳までには自分の船を持ちたいと思っています。
小さな島での生活
母島に来て最初に思ったのは、「想像より静かだな」ってこと。海は信じられないくらいきれいで、時間がゆっくり流れています。その分、夕方6時を過ぎると全部の店が閉まりますが(笑)。
母島の人口は450人ほど。人とのつながりが濃くて、協同組合の仲間も島の人もみんなで支え合って暮らしています。水揚げもみんなで協力する。
どこに行っても知っている人がいて、呑みに行けば必ず誰かに会えます(笑)。
今は漁協の寮に住んでいて、ワンルームマンションみたいな部屋です。
新しく建てられた寮で、母島で漁師として働く人はたいていここからスタートします。

船の上で「魚の気持ち」で考える
今は「光延丸」という9.7トンの船に乗っています。小笠原母島漁協で扱う船の中では最大クラス。
うちの漁は縦縄漁(たてなわりょう)がメインで、狙うのはメカジキとメバチマグロ。どちらも大きくて値段も高い魚です。量で言えば、メカジキとオナガダイが多いですね。
3年目で小型1級船舶免許を取り、今は親方の手伝いで操船もしています。
漁に出ると、帰る時間はその日の海次第。2泊や4泊の漁も珍しくありません。
眠るのも船の上。親方は操舵室で、乗り子は船内の小部屋でマットを敷いて寝ます。寝る時間も起きる時間も漁の都合に合わせるので、生活リズムはバラバラ。最初は不安もありましたが、意外とすぐ慣れました。僕はどこでも寝られるタイプなので(笑)。
神経質な人は最初はつらいかもしれませんが、結局は慣れです。漁に出続けていれば自然と順応できますよ。
海のどの場所で漁をするかは、基本的に親方が決めます。みんなで話し合うこともありますが、最終的には親方のカンが頼りです。その長年の経験からくる感覚は本当にすごいと思う。
毎日、航海日誌をつけていて、天候や海流、釣果を記録しています。それでも自然が相手だから最後は運なんです。だからこそ釣れた瞬間の喜びは大きいですね。
親方は道具も自分で開発します。たとえば、ソデイカを釣る仕掛けを改造して、そのソデイカをマグロが食べるように仕立てたり。魚の気持ちになって考えて、新しい道具を作る。
いつか、親方よりももっと釣れる漁師になりたいと思います。
漁師を目指す君へ
漁師になってから忘れられないのは、20歳の誕生日の漁。
母島の西のほうの沖で、220kgの大きなメカジキを釣ったんです。引きが強くて縄がなかなか上がらなくて、時間をかけて釣り上げたときは感動しました。
帰り際、親方がその時の「釣り針」をくれました。今でも大切に持っています。
漁師になったら、他では出会えない経験がたくさんできます。海・釣り・自然が好きな人はぜひ仲間になってください。




