先輩漁師の声

  • 座談会

ベテラン漁師から新しい世代の漁師へのメッセージ

interview

profile

よしたか

漁師歴26年

埼玉県出身

主な漁:たて縄漁、底魚一本釣り漁

高校卒業後、すぐに母島の青い海にあこがれをいだき、漁師をはじめる。
約9年間親方のもと修業をつみ、27歳で独立!!
家族 妻、長男(19歳)、次男(17歳)、三男(13歳)、長女(10歳)
趣味 野球、お酒

profile

のぶちゃん

漁師歴25年

東京都出身

主な漁:たて縄漁、底魚一本釣り漁

高校卒業後建築系専門学校へ行くが中退。その後大工の道へ。
9年勤めた後あこがれの漁師を目指す。そして6年の修業の後独立(33歳)。

25年見てきた小笠原母島の漁師生活

小笠原母島漁協の環境について教えてください。

よしたか

母島は人口450人ほどの小さな島です。漁協の組合員は20数名、船も20隻ほど。港も他の土地と比べれば小さい。だからこそ、漁師同士の距離感が非常に近いのが特徴だと思います。

のぶちゃん

港に行けばみんなと会っちゃうからね(笑)

漁はどんな方法で行うのですか?

のぶちゃん

小笠原漁協がメインで行っているのは「たて縄漁」です。ターゲットはメカジキ、メバチマグロ、ソデイカの3本柱ですね。

よしたか

基本的にはどんな魚を釣るためにも同じ道具を使いますが、ソデイカだけは季節感があります。冬の時期は、メカジキを釣るための針を外して、そこの部分にイカ用の仕掛けを付けて狙うんです。

のぶちゃん

魚がかかった時は、道具を巻いている途中に大体わかりますよ。カジキは横に泳ぐ、マグロは元気なやつほど、真下にドン!と引き込まれる独特な動きをする、とかね。

よしたか

漁師は自分の感覚に頼る世界ですよね。GPSなどの計器類は進化しているし、潮流情報を見ることも大事だけど、魚がどこにいるかを判断するのは言葉にできないようなカンが働く。

のぶちゃん

だからこそ、漁師みんなで話し合うようになったよね。海が時化て沖に出れない時は、港にある自分たちの作業場前に集まって漁の道具を作ったり修理したりしています。そこでほぼ毎日のように顔を合わせて、常にコミュニケーションを取っているような感じですね。

波風立てずに、みんなで釣ろうぜ

小笠原母島漁協は、漁師どうしの情報交換が活発だと伺いました。

よしたか

港の倉庫の前で道具を作っていると、「それいいね」「こんなのあるよ」と自然に会話が生まれます。「この道具買うけど一緒に買っとく?」なんてことも日常茶飯事です。

のぶちゃん

沖に出ている時も、無線で「こっちで釣れたよ」と情報を伝え合います。これはある種、自分が釣れない時に仲間に聞きたいから、自分も隠さずに言っちゃうっていう(笑)。持ちつ持たれつだね。

自分だけが良い思いをするのではなく、全体で水揚げを上げて組合を盛り上げようという姿勢が今のスタンダードですね。

よしたか

私たちの代から、特にオープンになってきましたね。昔は自分の道具や漁場を秘密にする風潮もあったけど。

昔とは雰囲気が違うのでしょうか?

のぶちゃん

変わりましたね。昔の人はやっぱり、釣れる漁場やとっておきの道具は、他の漁師に教えないようにしていた。

よしたか

親方たちが自分で見つけた方法だったから仕方なかった部分もあるよ。「俺のほうがたくさん釣るぞ」というライバル心もあるし。私やのぶちゃんの世代から下の人間たちが、協力しあって情報交換をするスタイルを定着させました。

のぶちゃん

僕たちは基本的に平和主義者だから(笑)。波風立てずにみんなでうまくやることを重視しました。誰かが意図的に変えたというより、みんなでシェアした方が合理的だよね、という新しいカルチャーが自然と僕らの世代から定着していった感じです。

乗り子時代から自分の船を持つまで

今は風通しの良い漁協ですが、おふたりが修行されていた頃はどうでしたか?

よしたか

私は海なし県の埼玉出身で、海で働きたかった。それで高校卒業後すぐに漁師の世界に入りました。面接は竹芝桟橋で親方と会ったんです。真っ黒に日焼けしていて、ものすごいオーラがあり「住む世界が違う人だ」と感じたのを覚えています。修行時代はとにかく怒られたね。

のぶちゃん

私も同じです。毎日失敗続きで、怒られすぎて記憶がないくらい(笑)。元々大工をしていて「あと少しで独立」というところまで下積みしていましたが、27歳のときに「このままでいいのかな?」と悩むタイミングがあった。そのときたまたま友達と小笠原に遊びに来て、漁師の募集があることを聞いて。海は毎日状況が違うし、絶対に自分が納得する結果が出ない仕事だという点が面白そうだと思いました。最初は遊びに来ただけだったんですけどね。

よしたか

私とのぶちゃんは年齢は違うけど、漁師になったのは1年違いでほとんど同期。港に帰って二人で風呂に入りながら「今日も親方に怒られちゃったよ……」と愚痴ってたよね(笑)。

のぶちゃん

そうそう。乗り子時代に諦めないで済んだのはよしたかみたいな仲間がいたからだと思うよ。

もちろん親方から教わったこともたくさんある。母島の漁師は、一種類の漁に特化せず何でもやるんです。親方からは「何かがダメでもこれができればいい、という風に『潰しが効く』漁師になれ」と教わりました。それが生き残るための強みになりましたね。

よしたか

私なんて高校卒業から島にいるから、社会人としての生き方を全部親方に教わったようなものですよ。

親方の船で修行する「乗り子」から、自分の船を持って独立するまでの道は?

のぶちゃん

独立を考えたのは3年目くらいです。親方に頼んで自分で操縦させてもらったりしながらイメージを掴んでいった。6年目の33歳で独立しました。

乗り子時代の月給は20万くらい。そこから自分の船を買うために、いきなり1500万〜2000万の借金を背負うわけです。「本当にお金を返せるのか」という不安と、「俺なら大丈夫だろう」という変な自信が半々でした。

よしたか

僕も最初の3年は「漁師に向いてないんじゃないか」と迷うこともありました。でも3年が経ち、仕事が見えてきた時、ふと「この島で船を持つんだ、親方たちと肩を並べるんだ」という強い気持ちが芽生えたんです。それが大きな分岐点でした。のぶちゃんより長い9年の乗り子経験があったので、独立する時には「食いっぱぐれることはない」という自信はありましたね。

「負けん気」と「絆」

お二人が弟子の「乗り子」に接する際、意識していることはありますか?

よしたか

まず採用に関しては、漁業就業支援フェアで履歴書をもらった後、漁師たちで「この子はうちの船に乗って欲しいな」と話し合って、それから個別に面接して決めるケースもあれば、直接問い合わせをいただいて採用に進むこともあります。僕の船に乗っている乗り子(海人)の時は、彼が高校3年生の時に制服姿で東京駅に来てもらい、一緒に飯を食って面接して、本気度を確かめました。海人も高校卒業して島に来たから、自分と重なる部分があるんですよ。

のぶちゃん

僕はこれから入ってくる若い子たちへの教え方を考えています。小笠原母島漁協は僕たちの世代でみんなで支え合う団体に変わったから、仕事の教え方も時代に合わせて変えていく。もちろん船の上で乗り子を守るためには、言うことは言わないといけないけど、理不尽に思えるような怒りかたをしないように気を付けないと。

よしたか

漁の最中はとっさに強い口調で注意してしまうこともあります。海の上は危険が多く、ゆっくり説明している時間がないから。ただ、必ずフォローは入れますね。例えば、翌日の朝ごはんを食べている時や、陸に帰って片付けが終わった後に、落ち着いて「どうすればよかったか」を話す時間を設けています。

最後に、新しい世代の漁師に期待することを教えてください。

よしたか

まず、独立を目標に頑張って欲しいと思いますね。そして若い世代が自分の船を持った時、僕らが築いた協力体制をさらに発展させてほしい。海で何かあった時に助け合う「絆」を大事にしてほしいです。

のぶちゃん

それに加えて、僕らの世代をさらに超えていくような「負けん気」を持ってほしいですね。僕自身、「必ず親方よりいい漁師になる」という気持ちで頑張れましたから。

よしたか

そうだね。若い子たちが独立したら「親方に負けないくらい魚を釣ってやろう」という元気の良さを見せてほしいですね。「ちょっとこいつには敵わないな」と、僕らが白旗を上げるくらい、一生懸命になれる若い子の姿を見たいです。

漁師を目指す君へ

よしたか

大自然のなかで、同じ志を持った漁師仲間と日々切磋琢磨しながら漁に励めることは自分の人生の財産です。

小笠原母島の大きな海で、世界でたったひとつの自分の船を持ち、最高の漁師ライフを送りましょう!

のぶちゃん

漁師の仕事は甘くない。修業中は厳しいことや辛いことがたくさんあるかもしれない。でも、負けずに頑張れば夢は必ず掴めます。

自分の船で大海原へ出て、大好きな海で仕事ができる。頑張っただけの見返りがあり、そして大物を上げたときや大漁したときの喜びもまたひとしおです!

proud

助け合いの気持ち 協力し合う姿勢

コミュニケーションの大切さ

仲間あってのかけがえのない時間

母島漁協は組合員20数名の小さな組合だけに助け合いの気持ちをもって協力し合うことが日常的に当たり前のこととなっています。日々私たちが漁に励みちゃんとした生活が送れるのも仲間あってのことです。仕事の話やプライベートの話、夜になれば酒を片手に笑い話に花を咲かせることも多々あります。そんな同じ志を持った仲間たちと過ごす毎日はわたしたちにとってかけがえのない時間となっています。
東京本土から1000キロ離れた自然豊かな南の島、母島で努力と経験を積み立派な海の男、漁師になりたい方を是非待ち望んでいます。